牛久保のいまむかし

牛久保地区の名の由来

―昭和57年3月31日横浜市役所発行「横浜の町名」より抜粋―
古くは、牛久保村、あるいは牛久保新田といい、明治22年の市町村制施行の際、隣村の山田村、勝田村、大棚村、茅ヶ崎村とともに中川村を立て、その大字牛久保となったが、昭和14年に横浜市に編入され牛久保町となった。

この村は、谷戸の奥に位置し、村内にいくつもの小さな谷が発達していたところで、久保は他のクボ地名と同じくこの谷戸のクボんだ形状を言ったもの。

ウシは普通「縁(ふち)」の転じたものであることが多いようであるが、ここがそれにあたるかは不明。しかし、明治初期の地形図には、谷戸の南側の縁辺部に集 落が発達していることから「縁」のクボであるとの可能性も強い。ウシはまたウスの転で臼のような窪地の地形を形容した語とも考えられよう。

牛久保東周辺の歴史スポット

都筑民家園

江戸時代の旧家「旧長沢家住宅」を中心に管理棟、庭などで構成された区域を「都筑民家園」といいます。長沢家は、横浜市歴史博物館から程近い都筑郡牛久保村(現在 の都筑区牛久保町)にあった旧家で、江戸時代の一時期、村方三役の名主役や組頭を勤めています。

旧長沢家住宅の建築年代は、新しい様式も取り入れられているものの、柱の一部にチョウナ仕上げがみられること、土間境の柱が大黒柱となっていないこと等の古い形式を残しているため、横浜に残っている民家の中ではかなり古いものであることがわかりました。
1979年横浜市に長沢家より寄贈され1996年に現在地に復元、1997年より 「都筑民家園」として一般公開されています。

大塚環濠・歳勝土遺跡

横浜市歴史博物館